16 February '2007 - 19:34 | アメリカ生活, 子育て, 日米対決 情報を公開するということ
知らしむべからずの国から来たものとしては、アメリカの情報公開の姿勢には、目から鱗が落ちることがしばしばある。
子供の学校をどうしようか、どうなるのか、どうできるのか、どうしたいのか、などと思案し始めたころ、アメリカの小学校システムをネットを使って調査を始めてすぐに見つけて驚いたのは、個々の小学校に関する詳細な情報の質と量だった。
自分の卒業した小学校をぐぐってみると、たしかにウェブサイトもあって、学校の紹介、行事の紹介などをしているし、(決められた設問に答えるだけとはいえ)保護者による学校評価というページもあった。
また、市の教育委員会のサイトにはすべての小学校のリストもあった。あまりに素人臭くてイタすぎて微笑ましい見た目なのだけれど、日本の小学校もある程度の情報がウェブで得られるように努力はしているのだろう。「インターネット、始めました」って言いたかっただけなのかも知れないけれど。
さて、アメリカの小学校にこどもをやろうという立場になったとき、どういう情報が公開されているのをネットで知ったか。
個々の学校について、学年ごとのクラス数や生徒数などは日本のサイトでも分かるし当然のこととして、まず、目を引くのが成績。API (Academic Performance Index) スコア、CST (California Standards Tests) スコア、また去年との比較などが詳細に公開されている。CST ってのは、カリフォルニア州全体でやる学年別のテストで、API ってのはその CST の結果を公開されたフォーミュラで計算して出すスコアのこと。
つまり、勉強ができる子がたくさんいる学校とそうでない学校が一目瞭然というわけだ。公立の小学校なのに、学校ごとの子供たちのテストの平均点が公開されているなんて、知らしむべからずの国の人はびっくりするんじゃないかと思う。ぼくはとてもびっくりした。
しかし、これくらいではまだまだ。情報公開大嫌いな日本人としても、テストの平均点くらいなら公開してもいいんじゃないかと言えるレベルだろう。
驚くのは生徒情報の公開。もちろん個々の生徒情報なんてものはないけれど、その学校の生徒がどういう家庭の子供たちかが公開されている。給食費援助を受けている人の割合、人種構成、母語の構成など。
要するに、その学校にはいわゆる貧乏な家庭の子がどのくらいいるか、肌の色はどういう割合か、どこの文化圏から来ているか、などが一目瞭然というわけだ。
たとえば、Palo Alto の小学校の人種構成はこんな感じ。
去年までぼくが住んでいた Redwood City はこんな感じ。
色だけ見てると勘違いするので、ちゃんと中身を見ないといけない。Palo Alto では白人が半分、アジア系が 1/4 という構成に対し、Redwood City では、2/3 がヒスパニック、白人は 1/4 という構成。カリフォルニアとはいえ、ここまで極端だとまるでメキシコだ。
情報公開請求をわざわざ市役所にしにいかなくてはいけないのに、いったらいったで市役所職人に「目的はなんだ」と恫喝されてしまう事件がおきる国から観れば、こんな情報は差別を助長するだけだという拒絶反応ばかり返ってきそう。
実際、ぼくがこの話をしたら、日本にいる友人たちの多くは、「『だから』差別がいつまで経ってもなくならないのだよ」と明らかに拒絶反応を示した。まったく同意できないけれど、なんとなく言ってることは分かる。拒絶反応を起こすメンタリティも、同胞としては理解できる。
しかし、ある特別な状態の人だけが知ることができる情報というのは、どうだろうか。ぼくは不公平だと感じる。
たとえば、その学校に入学してみれば生徒たちの人種構成などすべて分かることだ。それをわざと秘密にすることで、差別的ともとれる選択行動を取らせないのだとしたら、それは公正なやり方とは思えない。差別は法的措置で処罰するべき問題であって、行動を制限することで排除を成し遂げられる類いの問題ではない。見えなければ差別できないのだから、見せなければいいなどという理屈は通らない。
ちなみに、ぼくは、各学校のテストスコアと人種構成をすべてよく確認して検討したうえで、Redwood City を捨てて Palo Alto に引越すことにした。Redwood City と Palo Alto の小学校では、市内のほぼすべての学校について、テストスコアは比べる必要もないほど歴然とした差がある。また、人種構成は、Redwood City では圧倒的多数がヒスパニックであり、アジア系は数%という状態だが、Palo Alto では白人が過半数、1/4 くらいはアジア系という構成になっていて、ぼくとしてはその方がいろいろと好ましいと判断した。
たしかにカリフォルニアはヒスパニックが多い州だけれど、圧倒的多数の生徒がスペイン語が母語のヒスパニックというのは、あまりに偏りすぎているし、そこでの学校生活はぼくから見れば異色のものと映るのは間違いない。やはり、もう少し現実的な構成の方が好ましい。
ちなみに、教育熱心な親が多いとされている Cupertino というところでは、圧倒的多数の生徒がアジア系という、これもまた異常な人種構成を示している。
Redwood City ととても似た構成比を見せているが、ヒスパニックが全員アジア系に変身している。こちらも異常。どこの国だか分からない。
Cupertino は、確かに学校のスコアレベルはどこもすごく高いのだけれど、アメリカの自然な人種構成とはかけ離れているという意味で、ぼく個人は受け入れがたいと感じた。また、そもそも学業に偏って力を入れすぎることには、ぼくは賛同できない。レベルの高い学校の方が低い学校よりもいいと思うけれど、子供には学業よりも大事なことを学んで欲しい。学業に力を入れている人たちとはだいぶ違う考え方なのだろうけれど、ぼくは勉強はしたくなってからやっても十分間に合うと思っている。
ちなみに、これらの情報が整理されているサイトのおすすめは、http://www.greatschools.net/ というところ。検索するとすぐに出てくる Palo Alto の学校情報を見ると、いきなり Google Map Mushup という、さすがというかなんというか。世界一快適な FTTH を誇る日本の素人サイト群は、いつこういうレベルに到達するのだろうか。
で、ここから多くの情報がたどれるのだけれど、Palo Alto 市の小学校のテスト平均スコアと人種構成は http://www.greatschools.net/cgi-bin/ca/district_profile/652 にある。細かすぎる。誰がここまで細かい数字を出せと言っているのだろうか。
Palo Alto 市の小学校の比較を見ると、ほとんどの学校が Rating は最高、API は 900 以上、給食補助は 1割以下で、レベルの低い学校というのはないが、Redwood City 市の小学校の比較を見ると、Palo Alto のそれとはまったくおもむきの違ったデータがそこにある。
ぱっと目につく特徴としては、トップの学校は最高レベルだけれど、半分以上の学校のレベルは最低ランクということ、給食費補助の家庭のあまりに多いこと、補助を受けている(つまり貧しい)人が多いところほど点数が低いこと、とにかくヒスパニックの割合が異常に高いこと、などが目につく。
確かに Redwood City はまさにメキシコといった雰囲気の町で、そもそも白人は少ないのだけれど、そこに住んでいる白人の多くは子供を私立に行かせるので、公立学校の白人率は極端に低くなる傾向にある。
公立の小学校を選択するという考え自体が日本的ではないのかも知れないし、選択しないのだから情報は必要ないという理屈なのかも知れないし、選択肢を与えると偏向するから与えたくないのかも知れない。情報を隠蔽することでことの成り行きを偶然に任せ、結果として均一で公平なものができればいいな、というのが今の日本の方式のように見える。
しかし、格差ありきのアメリカではそれはありえない。知らずに行ってみたら、自分以外は全員スペイン語をしゃべっていた、なんてことは受け入れがたい。そもそも均一じゃないのだから、均一のふりをすることはできない。また、機会の公平さを担保するには選択の自由が必ず必要で、選択をするためには情報が必要だ。
上の情報をもとにぼくが Redwood City から Palo Alto に引越したことを指して、それを差別だという人もいるのかも知れないし、だから情報を隠蔽しようという人もいるのかも知れない。
もちろん、ぼくはぼくの取った行動が差別だとはまったく考えていないし、情報を隠蔽しようというのはほとんどうまくいかない方法だと思っているけれど、世の中にはいろいろな考え方があるのは知っている。
yukikukan - 21 February '2007 - 06:38
ひろしま - 21 February '2007 - 11:53
yukikukan - 21 April '2007 - 06:15
ひろしま - 21 April '2007 - 23:51