ぼんやりと考えている人

ひろしまなおき (廣島直己)
名前: ひろしまなおき (廣島直己)
住処: シリコンバレー
職業: しがないプログラマ
家族: 愛妻一人、息子一人、娘一人
道具: ハーレー二台、ギター三本
電紙: n at h7a.org

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以前にぼんやりと考えたこと

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24 December '2008 - 21:59 | 子育て, 時事, 日米対決 ケータイがあろうとなかろうと

岡田さんが「ケータイの小中学校への持ち込みを禁止すべきだと思う」と書いている。ネットを介した便利でシンプルなコミュニケーション手段が、リアルなコミュニケーション能力の発達を阻害するという危惧からだ。

ぼくはそうは思わない。学校への持ち込みを禁止するべきではないと思うし、感情表現の種類が絵文字の数に依存するということもないと思う。

たしかに、電信のせいで手紙が減っただろうし、 電話のせいで電信も減っただろう。とても嘆かわしいことだと思う。大河ドラマを見ていると、友人には毛筆でしたためた文を届けるべきだと、いつも深く反省する。 電子メールのようなデジタルな手段では、美しい満月をぼんやりと眺めながら遠い日本の友人に想いを馳せるぼくの心のひだなど決して伝わることはない。伝わ ろうはずもない。相手のディスプレイには、どんなフォントで表示されているかすら分からない。もしも友人がウィンドウズなどでメールを読んでいたら、ほん とうにひどいフォントで表示されているに違いないのだ。心を込めて文字をしたためるぼくが、そんな汚い字で心を綴っているはずがないのに。

それまでになかった新しい手段によって変貌を遂げるコミュニケーションというものも確かにあると思うけれど、人の心はやはりとても瑞々しいものだから、だいじょうぶだと思う。いつの時代に生まれても、子どもは子どもらしいだろうと思うし、恋は恋焦がれるものだと思う。コミュニケーションの形こそ変わっても、人が心をもっている限り、大人が子どもたちに愛情を注ぐことができる限り、問題ないと思う。

新たに誕生した道具の便利さが、不自由さの克服と言う形でとげてきた過去の発展を無用のものにしてしまうということはあるし、それは、回顧趣味的な 意味でとても残念なことだとは思う。ぼくもそろそろいい歳なので、若いものが喜んですることは基本的になんでも否定したい。でも、便利さが普遍的に行き渡るこ とで得られる公平さの方が、便利さによって失われるものよりも重要だとぼくは思っているし、人間は絶滅の危機に瀕するまでその発展を止められないと思っているので、それを全肯定して考えていきたいと思っている。

ただ、学校に持ち込ませたくない理由が、学級崩壊やいじめの助長やカンニングなどを懸念するものだったら、それは理解できる。ぼくも、クラスには一切持ち込ませない方がいいと思うし、ケータイの携帯を許すメリットはまったくないと思う。

つまり、学校には持って来てもいいが、クラスには持って入れない。これでいいと思う。

ちなみに、防犯のためとかいう理由で学校への持参を許すべきだという話にはまったく賛同できない。そういう理由で持参を許すべきだと主張するような大人には、ケータイを持ったままヨハネスブルクの街を歩き続ける罰を与えたい。

子どもにケータイを持たせることで、いつ学校を出たか、さっきどこにいたかが分かっても、そんなものは防犯にも何もならない。問題があったことがいくら早く分かっても、誘拐されて殺されてしまっていたら、何の意味もないことに気づかないといけない。犯人を早く捕まえることが目的なら役に立つかも知れないが、そんなものを目的にするのは親として間違っている。問題が起きないようにするべきなのだ。子どもを大人の監視外に放り出すのは親の犯罪であって、子供の運の問題ではないということを受け入れられない社会に未来なんてなくていいし、少子化云々を議論する価値などまったくないと思う。

まあ、防いでないのに防犯と考える意識は徹底的に間違っているので、そういう間違った意識を改善させるために、防犯用のケータイの持参を禁止するというのなら、賛成してもいいかも知れない。

子どもがケータイを持参してもいいとぼくが思うのは、そうしたい理由のある親にとって、便利だろうから。それだけ。

いまのところ、我が家にはとくにそういう理由がないので、近い将来に子どもたちにケータイを持たせる予定はないけれど、子どもが「iPhone 買ってくれ」って本気で言うようになったら、たぶん、買ってやると思う。ただし、$2.99 で 5,000本くらいは売れそうだと信じられる iPhone アプリケーションを書いてデモして見せることが条件になると思う。まあ、いきなりコードを書けと言っても書けないだろうから、最初は具体的なアイデアだけでもいいかな。娘の場合は、彼氏とケータイで話さない、もしくは彼氏とは別れる、さらには毎週お父さんとデートするといった条件でももちろん可。って、何の話だっけw

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まだ、書かれてから十二時間しか経っていないこの文からはほのかになおきさんの心の暖かさを感じとることができますよ。なんと液晶のバックライトが自然に表現してくれる時代なんです。
それに、今の時代は狂った規制をする国・自治体から幾らでも逃亡できる方法があるからいいですよね。自由って素晴らしい!!
ネットの自由すぎるところがちょっと怖いんですよね。子供のうちは限られた環境で限られた対象に対して掘り下げるようにしたほうがいいと個人的に思っているので、子供が出来たらネットは制限するだろうなー。まあ、それも大きな視点で見れば「選択肢の一つ」であるべきで、基本は誰にでも自由が開かれているべきだというのは賛成です。「便利さが普遍的に行き渡ることで得られる公平さの方が、便利さによって失われるものよりも重要」「人間は絶滅の危機に瀕するまでその発展を止められない」・・・ここは僕もいつも考えているところで、やっぱりそうなんだろうなと思っています。
子どもにネットを自由に使わせるのは、ぼくも大反対ですね。ほとんど凶器にしかならないと思う。
うちの子たちには、家を出て行くまではリビングにおいた Mac mini を自由に使わせるくらいかな、と思っています。もしプログラミングとかをやり始めて長時間専有したいと言いだしたら、ひとつラップトップを与えてやろうと思ってるけれど、それもリビングでしか利用させないと思う。ネットへのアクセス自体に制限を加えたくないので、目の前でしか使わせない、みたいな。

それはそうと、再来週くらいに久しぶりに玉撞きしませんか :-D

  
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酢ハムがいったいどんなハムなのかはともかく…
 

 

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