ぼんやりと考えている人

ひろしまなおき (廣島直己)
名前: ひろしまなおき (廣島直己)
住処: シリコンバレー
職業: しがないプログラマ
家族: 愛妻一人、息子一人、娘一人
道具: ハーレー二台、ギター三本
電紙: n at h7a.org

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以前にぼんやりと考えたこと

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28 December '2003 - 21:01 | 雑記 いいかげん

テレビで日本のニュースを見ていたら、新庄が記者会見をしていた。曰く「アメリカ人のいい加減さに呆れて帰ってくることにした。メジャーに憧れてる選手はアメリカなんて行くのは止めたほうがいい」。 アメリカに新庄よりも長く住んでいる日本人としては、ある意味、言いたいことはよく分かる意見だが、新庄が言ってもなあ。そういうことは、成功してから言わないと、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえませんからね。

アメリカ人がいい加減だといういのは、よく聞く意見だ。言いたいことはよく分かる。渡米して6年以上経つが、いまだに、そのいい加減さとやらで非常に迷惑を被って怒り心頭なんてことは、それこそいくらでもある。

だが、渡米したばかりのころとは怒りのベクトルが違う。以前は、想像を絶するいい加減さ、非常識さに頭に来たが、今は、そういうむかつく状況になる蓋然性をちゃんと考慮しているにも関わらずに頭にきてしまっているということに頭に来るのだ。

だから、多くの場合、日本から来たばかりの人からすると、おれはすでに物凄く大らかというかいい加減になってしまっていて、アメリカ人化したと見なされる。

しかし、そうではない。日本に住む日本人は、単に、何でも一様であることに慣れすぎてしまっていて、多様な世界というものが、どういうものであるのか、よく分かっていないのだ。おれは多様すぎる社会で生活することに慣れただけなのだ。

みんなが、違うことを違う原理で考えて行動している社会というのが、一様であることに慣れきった日本人には、どれほどストレスの溜まる社会なのか、これはやってみないと分からないかも知れない。

自分の後に人がたくさん並んで待っているのに、まったく急ぐそぶりも見せずにレジでのんびりと小切手帳を出し、レジの人と世間話なんかしながら、えーといくらだっけ?なんてやってる人を見て、本気で怒っていてはエネルギーの無駄なのだ。

後に人がたくさん待っているとはいえ、自分は小切手で払うしかないのだから時間がかかって当然と思っているかも知れない。また、後に人がたくさん待っていることに気づいていないのかも知れない。

とにかく、そいつが何をどう考えているかなど、分かったことじゃない。日本のように一様な社会ならば、後で人がたくさん不愉快に待っているという事実はその場の全員に共有されていることが確実であり、その上で急がない人、もしくは急ぐそぶりを見せない人というのは、非常識であるし、人間として何か間違っている人と断罪して間違いないとみなが思うであろう。少なくとも、おれはそう思う。

しかし、アメリカでは違うのだ。同性が好きな人たち、肉を食わない人たち、日本人が他人の迷惑と定義することを迷惑とは思わない人たち、いろんな人がいる。いる、ではなく、ごまんといる。いや、はっきり言ってしまうと、実は、そんなやつらだらけなのだ。そういう人もいるだろうね、ではないのだ。そんなのばかりと考えていいほどなのだ。

このアメリカという国は、自分の、日本人として当たり前として持っている価値観が決して普遍的なものではなく、単に自分の個人的な考え方として相対化することを強要される社会だ。逆に、その、おれにとって当たり前の、いや、きっとほとんどの日本人にとって当たり前の価値観を、相手に分かるようにちゃんと説明することすら要求される場合すらあるのだ。説明できなければ、そんな価値観は存在しないものとして扱われるかも知れないし、もしくは、非常識な考えてして一蹴されるかも知れない。

世界一心の美しい優しい思いやりのある民族の国である日本から来た人間にとって、こんな無礼で非礼な扱いはありえないし、屈辱以外の何ものでもないだろうと思う。

つまり、ちゃんと自分の価値観を彼らの言葉で説明し、納得させられるようにならない限り、アメリカで暮らすということはとてつもなくストレスの溜まる作業だと思う。おれには本当に大変な作業だった。そして、できるようにならない人は帰るしかないと思う。ちゃんとできるようになるには、何年もかかると思われるし、きっとたかが3年じゃ難しいと思う。

ただし、できるようになれば、とても心地よく快適に暮らせる社会だと思う。そう思わない人もたくさんいるだろうが、おれには、これほど快適で素晴らしい社会はないとさえ思える。日本のように一様な社会で生活するのは、さぞ苦痛だろうなあと想像してしまうほどだ。ていうか、苦痛だったからこそ渡米したのだろうけれど、昔のことは忘れた。だいたい、昔のことって、いいことしか思い出さないものだよね(笑)

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